第90回桃李七月定例句会披講

選句方法:天地人方式(各3、2、1点)
兼題:梅雨明け、帰省、茶髪

夏の句 雑詠または題詠

兼題1: 「梅雨明け」
兼題2: 「帰省」
兼題3: 「茶髪」(キーワード題)  

 7月15日(火)投句受付開始
 7月22日(火)24時 投句締切、翌日選句開始
 7月29日(火)24時 選句締切、翌日MLで合評開始
 7月31日(木)披講        

投句: 一夏、浮遊軒、木綿、願船、顎オッサン、雛菊、梵論、東彦、葉子、芳生、香世、人真似、素蘭、英治、まよ、ぽぽな、馬客、好鵡、晴雨、素人、やんま、明子、徳子、庚申堂、四万歩、水、海斗、康、旻士、夜宵、童奈、丹仙、梨花、虹子、若芽
選句: 浮遊軒、一夏、芳生、葉子、英治、水、康、徳子、まよ、木綿、東彦、雛菊、好鵡、素人、顎オッサン、やんま、夜宵、旻士、人真似、梵論、四万歩、香世、梨花、ぽぽな、童奈、素蘭、若芽、柊、馬客、願船、庚申堂、晴雨、明子、丹仙

披講

・17点句

気掛かりなことには触れず帰省の子  英治
<芳生(人)>
帰省子の一端がよく表れていると思います。

<まよ(地)>


<木綿(天)>
気がかりなことはたくさんあるが、成長した子供を信頼し大人として見守って行こうとする親の気持ち、覚悟が伝わってきました。

<人真似(天)>


<梵論(天)>


<馬客(天)>
「どうだね…」、「まぁな」親父と息子の
会話とも言えぬやりとり。
我が家の帰省子もこんなものでした。

<丹仙(地)>
親元を離れた子供の近況について気掛かりなことがあるのだが、それを問いただすよりも、まずは久しぶりに帰った吾が子を歓待したという、親のやや複雑な情を詠んだものでしょうか。なんとなく「放蕩息子の帰郷」の故事を連想しました。


・12点句

狐面茶髪にのせて祭笛  明子
<東彦(地)>
若い娘の清々しい色気が全体を包んでいる。狐面と茶髪が似合っている。去年行った祭の情景が思い出される。祭囃子が聞こえてくる。

<顎オッサン(人)>
「よ〜お姉ちゃん」という掛け声が聞こえる。
否、祭好きな好青年のようにも。

<やんま(天)>
面の中の自分が奥へ奥へと広がります。
私はだあれ?

<梵論(人)>


<香世(天)>
狐の面は、茶髪が一番似合います。弾んだ様子が目に浮かびます。

<晴雨(地)>


校庭を横切ることも帰省かな  まよ
<浮遊軒(天)>
母校へ戻ると、本当に帰省したという感じがする。何度も経験があります。

<水(地)>
すべてがなつかしい。が、人と会うのはわずらわしい。 こっそり校庭を横切ってみよう。

<康(天)>
校庭や運動場、通っていたあのときより、何故か小さく見えるものです。いろんな思いが過ぎったことでしょう。

<雛菊(天)>
帰郷の中にこんな切り取り方もあったんですね。たちどまらず横切る。ちらりと母校を見て。気恥ずかしい思いも少々。

<丹仙(人)>
「も」という助詞を俳句で使うと、印象が散漫になって失敗することが多いのですが、この句は「校庭を横切る」が意表をついた表現なので、あまり気になりません。思い出の場所が作者を過去へのタイムトラベルに誘ったようです。


・10点句

老木に声かけてゐる帰省かな  好鵡
<木綿(人)>
街の様子も変わり、見知らぬ人も多くなった故郷に昔と変わらず残っているものは、子供のころ四季を感じたり木登りをして遊んだ老木だけとなってしまった。
ペーソスを感じます。
木の精とお話してみたいものですね。

<旻士(人)>


<素蘭(地)>
幼いころからの記憶、人生の節目節目での思いを共有してきた老木
無言のうちに自分を受け止めてきてくれたものとふれあい慰藉されることで
つつしみやおそれといった感情を再認識できるようにおもいます

<若芽(天)>
老木となっても、そこに居てくれる木のありがたさ。

<柊(天)>


梅雨明けや男結びに変へてみる  香世
<英治(天)>
さあ、気分一新! 何かを期待して。まさに梅雨明けのムード。

<やんま(地)>
という事は、作者は女性か。
梅雨明けの今日は男性的にからっとした気分になった。

<童奈(地)>
さあ、気分転換。夏本番。

<素蘭(天)>
和服が身になじんでいるお姿が彷彿します
句も作者も自然体でいながらすっきりと粋な雰囲気で羨ましくおもいました


・9点句

梅雨明けや瓦大工の梯子立つ  水
<英治(地)>
「○○殺すに刃物は要らぬ、雨の三日も・・」だ。ようやく仕事にかかれる。

<好鵡(人)>
やっと梅雨が明け、新築のまだ屋根のかかっていない吹き曝しから青い空が見えている。やっと仕事が出来るという大工のわくわくした気持ちが伝わってくる。ちょっと惜しい感じのする「立つ」。

<ぽぽな(天)>
瓦職人も、住人もこの日を待ちわびていたでしょう。抜けるような空が見えるようです。

<童奈(天)>
梯子の先は青い空。


・6点句

置き傘は置き傘のまま梅雨明ける  やんま
<葉子(天)>


<雛菊(人)>
置き傘って以外に使われる頻度数少ない。だけどお母さんに帰り降ってきたらどうするの?って言われて又持たされて。置き傘はいつも置き傘の役目のみ。

<夜宵(地)>


梅雨明けの山容しかと定まりぬ  浮遊軒
<葉子(地)>


<四万歩(地)>
たしかに梅雨明けと同時に視界がひらける感があります。「山容しかと定まりぬ」という表現がそれをよくあらわしています。

<馬客(人)>
梅雨空に墨絵ぼかしだった遠近の山々、
「しかと定まりぬ」の強い断定が、いっそ、
気持ちいいです。

<願船(人)>
昨日まで雨雲に閉ざされていた山の峰が梅雨の明けた今日はくっきりとその全容を現している。いつも見慣れた郷土の山に対する愛情が感じられた。


・5点句

遠ケ嶺に一筋の日矢梅雨明くる  芳生
<梵論(地)>


<晴雨(天)>


帰省して直ぐさま川の河童かな  晴雨
<梨花(地)>


<柊(人)>


<願船(地)>
父か母の里に帰省した子は何度も行ってなじみになった川に走り、土地の子供たちと真っ黒になって動き回る。風景の中にその動きが見える。

虫取りの子らすれ違ふ帰省かな  童奈
<願船(天)>
親と一緒に帰省した子供はすぐ家を飛び出して虫取りの子となる。そこには土地の子供もいるだろう。他所から帰省した子も土地の子も虫取りの仲間として風景の中を動いている。

<明子(地)>
この時期、地元の子とは明らかに雰囲気の違う子供をよくみかけます。
この句、土地の子と帰省してきた子がすれ違ったのでしょうか。あるいはともに
都会の子だったのでしょうか。お互いをちらっと見る子供たちの表情が見える様です。

梅雨明けて空の青さを嗅いでみる  若芽
<夜宵(天)>


<旻士(地)>



・4点句

帰省子は倦みて床屋に行きにけり  梵論
<素人(地)>
帰省の実態の一こま。納得させられる句です。

<庚申堂(地)>
「まず」、「直ぐ」が多い中で、倦むという感じわかります。

代診の茶髪さらさら蔦青葉  香世
<徳子(地)>
きっと若き青年医師ですね。とても爽やかな感じを受けました。

<好鵡(地)>
どこかの大学病院の若い医者なんだろうか。建物にからまる蔦の葉っぱが涼しげに揺れている、茶髪にも風が…。医者の眼差しは清清しい。

盆踊り茶髪同士の国訛り  やんま
<浮遊軒(地)>
いくら姿形は変えても、お国訛はもとのまま。面白い句。

<素人(人)>
仲間同士心置きなく国訛りで話せるのも帰省ならではです。

<童奈(人)>
普段はCity Boyなんです。

夕映えの富士を遠見に帰省かな  浮遊軒
<芳生(地)>
情景がよく分かります。

<木綿(地)>
学生時代、東京から帰省するとき列車から見た富士山はあまりにも近かったので、この句の富士を遠見は飛行機から見た富士山ではないでしょうか?
いつか機内からの見た富士を思い出しました。

新しき恋の予感や梅雨明けぬ  童奈
<芳生(天)>
小説の一章のような感じの句です。

<素蘭(人)>
「明けぬ」の「ぬ」は完了の助動詞の終止形なのでしょうが
係助詞「や」の結びで打ち消しの助動詞「ず」の連体形と読めます
ここは「梅雨明ける」「梅雨あがる」ときっぱり断定しておかないと
「新しき恋」の行く手に暗雲がたちこめそうな予感が…


・3点句

梅雨明ける帽子網籠竿コーラ  海斗
<梨花(天)>


夏帽子脱ぐ娘の急にはにかみて  庚申堂
<顎オッサン(天)>
色々な場面が想像できます。
好きだった人との再会、帰省など。
「はにかみて」と余韻を残したのが
成功ですね。夏空を感じる良い句です。

「光り」とか「望み」とか云ひ帰省せり  丹仙
<まよ(天)>


向日葵と高さ明るさ背比べ  夜宵
<素人(天)>
今回はキーワード題としての「茶髪」でしたが、不言題として秀逸と思います。
茶髪への違和感もすっかり少数派に押し込められ、むしろ、この句のように、あっけらかんと捉える方が良いのかもしれません。

わが部屋に風入れている帰省の子  康
<東彦(人)>
素直な句で、長く窓を閉じていて黴臭くなった部屋に風を入れる。帰省が素直に詠われている。

<ぽぽな(地)>
しばらくぶりの部屋。

早乙女の髪に茶色もありにけり  浮遊軒
<一夏(天)>
早乙女という古風な言葉と茶色の髪の取り合わせが面白い。清潔感のある茶髪だと思います。

垣根にはマットが架かる梅雨の明け  人真似
<庚申堂(天)>
よくある光景です。

担ぎ手は茶髪ばかりの神輿かな  旻士
<徳子(天)>
神輿に茶髪の若い男女の担ぎ手が一体となって絵になっている。
不思議さよ。

きららかに花綵列島梅雨あがる  素蘭
<丹仙(天)>
梅雨明けのころ海外より帰国したときの句として鑑賞しました。
「きららかな花綵列島」というからには、飛行機でこれから着陸するときでしょうか。梅雨明けを上からの鳥瞰図的な視点から詠んでいるのが面白いですね。

梅雨明けて皆峰揃ふ八ヶ岳  ぽぽな
<東彦(天)>
中5が梅雨明けの清明性を浮き立たせて印象的である。八ヶ岳に登ったのは何年前か。

梅雨あけてエンジン唸る草刈り機  人真似
<四万歩(天)>
梅雨があけて、待ちに待った農作業がはじまる。その気持ちが、草刈り機のエンジンの唸る音に如実にあらわされています。

梅雨明けの徴と風を農夫嗅ぎ  梵論
<好鵡(天)>
農業をする人は五感で自然を感じる人なんだ。敏感なセンサーが働いてはじめて感受することのできる風なんだ。臭うという感覚は原始的なものらしい。原始から遥か遠くに行ってしまった人にはどんな臭いのする風を感じることが出来るだろうか。

梅雨明けの空すじかいに鷺過ぎる  東彦
<水(天)>
「すじかい」がよい。

梅雨明けの振り売りの声路地充たす  康
<明子(天)>
梅雨が明けると同時に路地に活気が戻って来た。
夏休みになったのに外で遊べなかった子供達、金魚や風鈴を売り歩く声、
生活の中の物音があふれている。懐かしい風景。


・2点句

帰省子のまず釣り竿を出しにけり  やんま
<康(地)>
すぐ近くに川や海があることがいかに贅沢であることか・・・。
羨ましい。

干し物をパンパン伸ばし梅雨明ける  海斗
<香世(地)>
今年の梅雨は長かった。パンパンにその思いが伝わってます。

洗ひたる黒髪父に誉められる  英治
<夜宵(人)>


<若芽(人)>
猫も杓子も髪を染めている中での、黒髪の美しさ。

われも犬も背筋のばして梅雨の明  英治
<人真似(地)>


茶髪来て金魚選りゐて寡黙なり  康
<雛菊(地)>
黒髪の方が珍しい昨今。一昔前のように茶髪だからやんちゃで不良と限らないが茶髪の子が金魚に夢中になっているのがかわいい。

帰省してまず稲の出来聞いてをり  明子
<浮遊軒(人)>
米の出来をさほど気にすることはなくなったとはいえ、そこは農家のこと。やはり気にかかるのですね。

<英治(人)>
やはり気になる。特に、今年の東北は・・。表記は歴史仮名遣い?

梅雨明けの碧にひと刷毛ジェット雲  梨花
<顎オッサン(地)>
説明的ですが、上手に詠んでいるので
好感が持てます。まさに夏本番の空に。

西窓の強き日差しに帰省かな   願船
<一夏(地)>
自分の部屋が西向きなのでしょう。昔どおりの西日を眺めて心安らぐ思いが伝わってきます。

凌霄花昨日茶髪となりにけり  童奈
<康(人)>
いろんな感慨がよぎります。「のうぜん」との取り合わせが妙。

<やんま(人)>
廻りは既に茶髪。
勇気を持って踏込んだ昨日。
今日はもう季節の中に溶け込んで。

茶髪にし雷雨のなかを駆けぬける  葉子
<馬客(地)>
思いきって「茶髪」にした。
心にわだかまっていたものにも
踏ん切りがついた。
「駆けぬける」がいいですね。

火の見見て大き雲見て帰省かな  芳生
<柊(地)>


カタコトと一両で行く帰省かな  ぽぽな
<若芽(地)>
故郷に至る道はこんなふうであってほしい、と思わせる。


・1点句

帰省子を見送る母の細くなり  木綿
<四万歩(人)>
帰省とは記憶をよびもどす機会でもあります。時の過ぎゆくなかで、昔の記憶にある母の姿がすこし細くなったように思える。それはまた、見送る母の姿が小さくなることと重なる。

紫陽花や吾子の茶髪を許しけり  丹仙
<明子(人)>
とうとう押し切られてしまった。まあいまや茶髪は珍しくもなくなったし、やむをえないかなあ。でもなんとなく納得できないのです。

帰省する場所などあらへん座敷犬  旻士
<徳子(人)>
・出戻りす部屋はあらへん衣更え 

ソーダ水あをあをと空のこしをり  顎オッサン
<一夏(人)>
ソーダ水に映った空が一層涼しさを感じさせます。青空を飲む爽快なイメージもよいと思います。

荒神輿茶髪集団疾風に  晴雨
<梨花(人)>


宵宮の子らは火薬の匂ひかな  一夏
<まよ(人)>


帰省子に祖母は自分史語りをり  雛菊
<水(人)>
団扇であおぎながら; 昔なら、蚊帳のなかで。

山頂は名残りの雲に梅雨明ける  明子
<人真似(人)>


我が町は郭公啼いて梅雨開ける  雛菊
<香世(人)>
そうですか。はい。大阪は天神さんかなあ..。

水音の四方に弾けり梅雨の明  虹子
<葉子(人)>


サングラス取れば幼き茶髪の子  木綿
<晴雨(人)>


ポケットの銀貨に触るる梅雨の明  願船
<庚申堂(人)>
暑くなり、咽がかわきますね。

絵日記は髪も素肌もまっ茶っ茶  夜宵
<ぽぽな(人)>
句の風景も、句の形も天真爛漫、好きです。