桃李歌壇

目次

白い老人

あなたの顔は白く それは血液がかよっていないかのようだ
目はややくぼみ 何を見ても涙がここを覆うためによりいっそうくぼんで見えてしまう
シャーカステンにかけられた自らのシンチグラムに
累々とした黒点が刻まれているのを前にした老医師の
それでも眼光は鋭く 唯一衰えを露にしていない
これらひとつひとつの集積は 時を蝕みゆく癌細胞の影
それを理解しつつ 上目遣いで漠然と今をおもう姿よ

これから潰えてゆかなくてはならないあなたに 私は何を施そう
麻薬により痛みはやわらぎ それがこころをなごませると知っても
二度とその手で胎児を取り上げることの出来ない腕の中に
どのような暖かみを抱かせればいい

あなたが幾人の生命を取り上げたのか私は知らない
しかしいま あなたのもつ時間は確実に見えないものに
そう 運命というより大きな腕によって略取されようとしている

「最近はここのあたりからビンとした痛みが腕の方に伝わってきて」と
懸命に訴えるものの 既に空回りをした寸劇を繰り返すだけであると
それは誰でも知っている あなた自身も良く知っているはずだ
皮肉なことにあなたは訴え 否定を求めている

ああ あなたが白く衰えてゆく
黒々とした影を従えて 身体は白く褪せてゆく
渇いた耳にはいつまでもこだまするのか
あの生まれたてのこどもの歓喜の声が

人々はあなたを取り巻き 傍らで無言の本心を抱きそのときに備えている
成し得たものの大きさも 受ける生の喜びも無縁な肉体の変容に
残された選択は 待つのみ そう 待つのみである

やがて遠くない将来 着実に時は満ち 運命は寄せてくる
最後の治療という名のもとに 裏切りの期待を
もはや抱き上げることのない新しい命とすりかえてわたしはあなたに抱かせ
二度と出ることの出来ないあの部屋に連れてくるのだ
立つこともかなわず 沈みゆく世界に黄昏るあなたが
一枚の扉と 一枚のカーテンによって切り離された絶命の空間へ
よどみはじめた時とともに ゆっくりと満たされ
埋もれてゆくのをわたしはここから見続けるしかない