1801 > アルコールランプの炎に沸かす湯の遠く夜汽車のゆくごとき音(たまこ) (4月14日 21時55分) 1802 > 空色の切符に心さすらへば銀河鉄道十字座をゆく(素蘭) (4月14日 22時49分) 1803 > いまもなほ闇ひたすらに突き進む宇宙船あり永久の夢乗せ(登美子) (4月14日 23時43分) 1804 > 金牌の絵文字よむべき異星人地球遺跡といふをたづねよ(堂島屋) (4月15日 10時24分) 1805 > 砂漠より運ばれいでしロゼッタ石ヒエログリフの謎解きせむと(素蘭) (4月15日 13時40分) 1806 > 遠くとほく砂漠の風をみるやうな動物園の駱駝のまなこ(たまこ) (4月15日 16時14分) 1807 > 黄塵のセピアに暮れし北の空西の浄土に思ひはすなり(重陽) (4月15日 18時48分) 1808 > 曼荼羅や佛部・蓮華部・金剛部ダブルクリックすれば影向(堂島屋) (4月15日 22時04分) 1809 > 大仏の後ろの山を飾りたる緑のいろの日々深まれり(萌) (4月15日 23時35分) 1810 > 光より生れし宇宙か御仏は美色纏ひぬ星の曼陀羅(素蘭) (4月16日 00時21分) 1811 > 祈りにはあらねど飛鳥の里にいますみほとけ日ごとわが胸に立つ(登美子) (4月16日 06時42分) 1812 > 飛鳥には神と風しかないと笑む飛鳥座神社の若き神主(たまこ)(4月16日 11時27分) 1813 > ふくらかに端厳なれや活佛と呼ばれし君をむべなりと思ふ(堂島屋) (4月16日 12時09分) 1814 > 鏑矢を番へて春を疾駆する凛々しき射手の風にさやけき(重陽) (4月16日 13時41分) 1815 > 若武者の鏑矢を引き放つ音を想へり初夏の日射をあびて(たまこ) (4月16日 17時31分) 1816 > ほととぎす雲居の空に名告りせば弓張月の武者を偲ばむ(素蘭) (4月17日 00時21分) 1817 > 諦めることもひとつの能動と若葉の森に鳴くほととぎす(たまこ)(4月17日 11時07分) 1818 > 諦めを重ねて来たる人生のつひに残りしうた天翔ける(登美子) (4月17日 18時02分) 1819 > 生業に追はれ追はれし現世のおきそひ末は歌を詠まばや(重陽) (4月17日 20時51分) 1820 > 日常に離(あ)るる思ひを語らむと真夜にひとり言葉を紡ぐ(素蘭) (4月17日 23時08分) 1821 > さみしさにさりげなく紡ぐ言葉いにしえよりの言伝てにして(萌) (4月17日 23時28分) 1822 > 言の葉は時に空しくまた浮かれ我が心をば映す宵闇(藍子) (4月17日 23時50分) 1823 > 感情の言葉ガツンとウイルスのよう免疫抵抗の時を待つのみ(しゅう) (4月18日 06時25分) 1824 > 悪意などまつたくなくて無意識の言の葉だからよけいに痛い(たまこ) (4月18日 09時36分) 1825 > 形なき言葉が心刺すことを思ひつつあらたな刃研ぎをり(登美子) (4月18日 22時05分) 1826 > 形心の危ふき岐路にきみ佇ちぬ哀しき玻璃のモザイクに似て(素蘭) (4月18日 23時39分) 1827 > 思い出のモザイクはいつもてのひらに触れなんとしてひそかに去りぬ(萌) (4月19日 00時11分) 1828 > 思ひては言ひたきことの多かりきそはなかなかに難きことなり(重陽) (4月19日 08時16分) 1829 > ばらしてもきつといいのだ「秘密よ」と貰つたチョコはたつたひとかけ(たまこ) (4月19日 16時41分) 1830 > ずっと前大きな洞にささやいた「ヒ・ミ・ツ」は春の芽吹きになりて(重陽) (4月19日 19時39分) 1831 > 人間は結局孤独一生を夫にも秘して終ふべき「あること」(登美子) (4月20日 06時21分) 1832 > 地平線が同じであればそれでいい轍の間に萌える草の芽(たまこ) (4月20日 11時22分) 1833 > 転轍機そびらに軋む ああもはや吾に従ふ列車は無けむ(堂島屋) (4月20日 12時30分) 1834 > 西からの逆風吹けばその雨は分水嶺の東にゆかむ(重陽) (4月20日 15時01分) 1835 > 分水嶺の熊笹の下の水の音ここにふたつの海が繋がる(たまこ) (4月20日 17時01分) 1836 > 天山にあるる光は雪解なし海を恋ひたる水は激ちぬ(素蘭) (4月20日 19時44分) 1837 > 六甲の萌葱盛りに雨走るおいしい水になつたら会はう(堂島屋) (4月20日 21時29分) 1838 > したたれる濁れる水を手の平に防空壕のうるわしき春(重陽) (4月20日 23時34分) 1839 > 湧水の渓渡りゆく鶯の声うららかに春は闌けゆく(素蘭) (4月21日 00時35分) 1840 > 春は闌け想ひもたけて疲れはて音なく崩るる牡丹(ぼうたん)の花(たまこ) (4月21日 07時33分) 1841 > 砂に書く名前はかなき春の海思ひ寄すれど波に崩るる(素蘭) (4月21日 14時24分) 1841 > 砂に書く名前儚き春の海寄する思ひも波と崩るる(素蘭) (4月21日 23時03分) 1842 > 砂像なき夏をいくつか過ごしきて懐かしき浜の甘き夜風よ(萌)鎌倉・材木座海岸ビーチカーニバルの復活を願って (4月22日 00時17分) 1843 > 兄弟の像は遥かに沖を見る波にもまれて戻れざりし浜(萌) (4月22日 00時20分) 1844 > 稲村の蹈鞴に吹きし黒砂は際殊などの因果を知るや(重陽) (4月22日 06時33分) 1845 > 鳴門の海たぎつ潮路の渦底を見て来し海月なり失神す(堂島屋) (4月22日 19時38分) 1846 > ゆらゆらと海面に映る満月に海月乙女の初めての恋(たまこ) (4月22日 21時19分) 1847 > 春満月海底にいのちの粒生れて水面をめざす揺らめきながら(登美子) (4月22日 21時32分) 1848 > 星座もつ天球に似て青海月ゆらりゆらりと待つ五億年(堂島屋) (4月22日 21時33分) 1849 > 折れさうな月に抱かれし夕星(ゆふづつ)の耀ふ空に春は暮れゆく(素蘭) (4月22日 22時20分) 1850 > 春日野に角落としたるさを鹿の花筏より水飲める見ゆ(堂島屋) (4月22日 23時40分) 1851 > 志賀島神社にぎつしり納められて炎立つなるさを鹿の角(たまこ) (4月23日 06時00分) 1852 > 仏蘭西の古城の端の館には狩を証せし鹿の角など〈重陽) (4月23日 11時47分) 1853 > 狩人の目となり子猫が狙ひたる黄のてふ危ふき結界を持つ(登美子) (4月23日 21時56分) 1854 > 片栗の伏せたる面(おも)にまつはりて春の女神のみどり児遊ぶ(素蘭) (4月23日 23時49分) 1855 > 磨かれしロビーをかける幼子の手より離れし風船が浮く(重陽) (4月24日 06時29分) 1856 > カー二バルの人群れの間を抜けいでて夜空へのぼる赤い風船(たまこ) (4月24日 09時11分) 1857 > とりどりの風船長き尾を垂れて大天蓋に受精のかたち(堂島屋) (4月24日 22時21分) 1858 > 風船の旅する空の秘めている限りなき青さ限りなき遠さ(萌) (4月24日 23時37分) 1859 > 青深き空に一閃の皓をなし遙かなる嶺鶴は越えゆく(素蘭) (4月25日 00時40分) 1860 > 越えたのは嶺ではなくて丘ほどのことであつたと今は思へる(たまこ) (4月25日 06時56分) 1861 > 思ひても叶はぬことの多かりき夕焼け雲にそはと思へる(重陽) (4月25日 18時43分) 1862 > 沈みゆく夕陽を追って走ろうか迫り来る闇見たくないから(登美子) (4月25日 22時45分) 1863 > 願はくは島の夕闇朱鷺色に染めたる夢のうつつならまし(素蘭) (4月26日 00時19分) 1864 > 江ノ島の西の高みに佇みて冨士の茜の没するを見ゆ(重陽) (4月26日 09時39分) 1865 > 日暮れまでに家に戻りてきつちりと羽をたたんでをかねばならぬ(たまこ) (4月26日 15時12分) 1866 > 宮仕へ終へて戻ればたちまちに心の羽がはばたき始む(登美子) (4月26日 21時20分) 1867 > ふと思ふ家路を急ぐ夕まぐれ 心の駅はあるのだらうか(素蘭) (4月26日 22時21分) 1868 > まだ降りたことのない駅 街路樹の光にふと呼ばれしような(萌) (4月27日 00時15分) 1869 > 錆びいろをまとひし山がたちまちに視界くまなき光る緑よ(重陽) (4月27日 05時11分) 1870 > 空も海も山も野面もまぶし過ぎ緑は時にわたしを泣かす(登美子) (4月27日 17時04分) 1871 > 楢・櫟・落葉松・欅の若みどり春山讃歌はクライマックス(たまこ) (4月27日 17時34分) 1872 > さみどりの小径たどりて月光の菩薩に見(まみ)ゆ春の名残に(素蘭) (4月27日 22時35分) 1873 > さみどりの光の中にゆらめきの風残しゆく銀杏の芽ぶき(萌) (4月28日 00時23分) 1874 > キャンパスの銀杏並木の影そよぎかつ消えかつ結ぶ恋のいく粒(たまこ) (4月28日 10時03分) 1875 > 帰らざる日々なればこそ恋ひしかれ公孫樹並木の続くキャンパス(素蘭) (4月28日 12時58分) 1876 > 恋ひしとはなけれどときをり夢に立つ早苗植ゑし日麦刈りたる日(登美子) (4月28日 17時08分) 1877 > 病室を出て盛んなる万緑に心弾みし幼き時を(重陽) (4月28日 18時27分) 1878 > 夕雲雀空に焦がれて焦がれ落つ五月の野辺を子らは駈けるも(素蘭) (4月28日 22時34分) 1879 > 雲雀から教えられたりこの空の広さに敵わぬ小賢しき知恵(萌) (4月29日 00時34分) 1880 > 水金地火木土天海冥と朗誦しては得意顔の子(重陽) (4月29日 05時03分) 1881 > 誕辰に一日遅れて娘より花の届きぬ忙しかりしと(しゅう) (4月29日 15時26分) 1882 > 音なくも血のつながりし子の故になにか届くも届かぬも良し(重陽) (4月29日 19時07分) 1883 > 我に似ると皆人言ふめり修学旅行の子が買ひくれし博多人形(登美子) (4月29日 23時46分) 1884 > 人形の顔つきはみなどこかしら人形師のそれに似たる心地よ(萌) (4月30日 00時26分) 1885 > 横浜の人形の家異国より訪れてくる香りの中に(萌) (4月30日 00時27分) 1886 > 異国より届きし友の花便り林檎の甘き香に酔ひたりと(素蘭) (4月30日 00時46分) 1887 > 花便り少し送れて届きたる北国うらやむ気持ちもありて(萌) (4月30日 23時28分) 1888 > 雲雀から教えられたりこの空の広さに敵わぬ小賢しき知恵(萌) (4月29日 00時33分) 1889 > 今年こそ会ひたしと賀状に書き続け三十年余いまだ会はざる(登美子) (4月30日 23時32分) 1890 > 転校に転校を重ねしわれなれば賀状に思ふ過ぎてこし地を(素蘭) (5月1日 00時17分) 1891 > 花便りありてかの地を思ひたり受験準備の厳冬の日々(重陽) (5月1日 04時42分) 1892 > 厳冬の予備校の帰路遠かりき同窓の友の晩き婚聞く(堂島屋) (5月1日 18時44分) 1893 > 公立を厭ふ風潮加速してちさき戦士ら橋渡りゆく(素蘭) (5月2日 10時18分) 1894 > この橋を渡れば旅の第一歩細き流れはきらめきやまず(登美子) (5月2日 16時44分) 1895 > 赦されて落ち行く身なり近習とアサッシンとはただ紙一重(堂島屋) (5月2日 18時23分) 1896 > 「時は今 天が下しる皐月かな」白く煙れる雨は光秀(たまこ) (5月2日 19時23分) 1897 > Now or Never 明日たつといふ君の瞳をかくまもらへば苦しかりけり(堂島屋) (5月2日 20時52分) 1898 > 言の葉のひとつ惜しむにあらねどもわが咎を知り秘めしことども(素蘭) (5月3日 00時40分) 1899 > おとといが峠だったの言の葉を信じて友は病克せり(重陽) (5月3日 05時32分) 1900 > あの頃にこの治療法ありせばと夭折せし娘(こ)を母は嘆きぬ(素蘭) (5月3日 15時46分) |