桃李歌壇 主宰の部屋

T.S.エリオットについて

その3 俳諧は、本来自由詩である

「荒地」の献辞に
「わたしにまさる言葉の匠」という言葉がありますが、これは
ダンテの「神聖喜劇」煉獄篇に出てくる台詞です。
プロバンスの吟遊詩人、アルナルド・ダニエルロにむけてダンテが云った
称賛の言葉。「荒地」はエズラパウンドの添削をうけて非常に引き締まった
作品になった−そのことにたいする謝辞でしょう。

パウンドはエリオットより三歳年長なだけですが、もともと哲学畑にいた
エリオットよりも、詩の作法については、遙かに経験を積んでいたようです。

ただし、「エリオットに優る言葉の匠」であったパウンドのほうもまた、
文学上の実験的作品ともいうべき「荒地」の添削・推敲に協力したことで
エリオットに大いに刺激された。ダンテの尊敬したアルナルドになぞらえられた
ことが関係しているのかどうか分かりませんが、彼自身も又,
現代に場を移した「神聖喜劇」というべき長詩、キャントーズ(The Cantos)の連作
に取りかかります。

ところで、イマジズムの詩の作法というのは

(1)瞬間のうちに知的・情緒的な複合体を提示する
(2)余計な説明をせずに、具体的な「事物」それ自体を明確に表現する。
(3)メトロノームのような因習的な韻律を排し、内容に即した自由な韻律で詠む。

の三つですが、これは(3)から明らかなように、自由詩の運動の延長線上に
あります。前回、私は

俳句は日本では伝統的な定型詩のひとつであるが、 haiku はイマジストの詩人には 「前衛的な自由詩の作法」として受容された。

と書きましたが、今日は、この発言をもう一歩押し進めて、そもそも日本の俳句も
本来は、自由詩という性格を持っていたのではないか、と云いたいところ。

「メトロノームのような因習的な韻律」をもつ詩というと、僕は、俳句や短歌ではなくてそうですね、明治時代の五七調や七五調の新体詩を連想します。
これは、その当時は「新しかった」けれども、ナツメロの歌謡曲の歌詞のように
今読むとすっかり古くなっていますね。

 やまのあなたの空遠く 幸ひ住むとひとのいふ .....

今の人は、これを聞いても、円歌師匠の落語のほうを連想してしまうかも。
長い定型詩のリズムには安直なものがあって、詩人の瞬間の「驚き」を表すには
向いていない。それは、すぐに古くなってしまうのです。

勿論、季語を持ち、切れがあり、五七五の形を尊重するという側面だけを見て
俳句を「定型詩」と云っている人が多いのですが、僕の考えでは、それらの約束事は、漢詩やヨーロッパの「定型詩」のもつ韻律上の約束事とは
全く性格の異なるものです。

漢詩だと、平仄と脚韻に厳格な規則がありますが、これは中国語の音韻に固有のきまりであって、漢文として、日本語化して読み下してしまうと失われます。
日本人には漢詩のもともともっていたリズムも音韻も分かりません。
それでも、中国語に固有の音韻上の「定型」の壁を越えて、漢詩が日本人の心を撃ったのは表意文字である漢字のもたらすイメージの断絶と繋がり、響き合いといったものの力に負うところが多いのです。

 西洋の伝統的な定型詩も又、強弱のリズム、脚韻、詩の構成などについて厳密な約束事がありましたが、それらは長編の詩を作るときの作法ですから、その煩雑さに比べれば日本の短歌や俳句の五七五や五七五七七の音数は、実に制約の少ない韻律上の規則といえるでしょう。

 英国には無韻詩の伝統がありましたが、それは、たとえばシェークスピアの劇の台詞の話であって一九世紀前半までは、やはり定型詩でなければ詩ではない、という考えが主流。

 自由詩の概念は、一九世紀後半になって、フランスでラフォルグなどが軽妙洒脱な口語で詩を書き始めた頃に成立しましたが、この詩人の軽妙洒脱な雰囲気は、若い頃のエリオットに影響しています。(ラフォルグは、本国のフランスよりも
パウンドやエリオットによって評価されました。中原中也など日本の現代詩人
にも好まれていますね)

 パウンドのイマジズムは、こういう口語自由詩の文脈の中で生まれました。
パウンドは俳句についても芭蕉についてもさほどの知識は持っていませんでしたがイマジズムに俳句が影響したのは、

「俳諧は、本来自由詩である」

ということが、芭蕉の俳諧の根本精神であったからだと僕は考えています。