桃李歌壇 主宰の部屋

T.S.エリオットについて

その5 ポリフォニー

> 芭蕉の「匂いづけ」「面影づけ」は、私には初めてなので
> よく分かりませんが、それと「荒地」のポリフォニイ性と
> は合い通じるものがあるというのは、たいへん興味をひかれました。
> ポリフォニックなものというと、私はバッハの作品を思い浮かべます。
> 副旋律のない、複数の主旋律がお互いに絡み合いせめぎあいながら
> 次々に変奏されてメビュウスの環のように続いていくあれ、、、、

このあたりが、実は、僕の云いたい事柄の核心に触れています。

一句で完結する近代俳句と違って、江戸時代の俳諧(連歌)の根本的な特徴のひとつはポリフォニックな構造です。作者は、文字通り「様々な声色」で詠わなければならない。

一人称(人情自)、二/三人称(人情他)、あるいは対話的に(人情自他半)
人物が登場しない叙景(場)、人物は老若男女、様々な職業階層の人々を
詠むことができねばなりません。それゆえに、俳諧師は、或る意味で、「詩劇」
の作者でもあり、しばしば歌舞伎の台本作者(黙阿弥のように)や、小説家
(西鶴のように)に転身しました。

歌舞伎の台本のような物は、近代劇のような首尾一貫した筋立てはなく
荒唐無稽にみえますが、その背後には独特の美学があって、様々な状況が、
俳諧連歌のように物語られ、響きあいながら移行展開していきます。

芭蕉の場合は、同時代の西鶴や後の黙阿弥のような大衆路線はとりませんでした。著名な俳諧師というのは、点料で稼げば結構良い暮らしができたはずですし、(其角のように)豪商をパトロンにすれば吉原で豪遊することもできた。

芭蕉は、点料(素人の俳諧の指導、コンテストの審査料)で生活すると云うことを一切せずに、粗衣粗食に甘んじつつ自分を理解してくれる少数の門人と共に俳諧の革新に乗り出します。深川芭蕉庵での隠遁生活、そして日本各地の歌枕をたずねる一所不住の旅が彼の生活になる。

普通に「俳諧七部集」と呼ばれるものが狭い意味での芭蕉の俳諧の神髄です。

野ざらし紀行の旅で、故郷伊賀、大和・吉野・山城・近江路を経て熱田に入り
名古屋の連衆とともに巻いた五歌仙が、後に「冬の日」として出版されます。

歌仙とは三六韻の俳諧連歌ですが、芭蕉は、これまでにない新しい詠み方を範例として示しました。貞享元年(1684)芭蕉四一歳の時で、これが蕉風俳諧の嚆矢となり、のちに続々と出版された七部集の他の書−「春の日」「阿羅野」「ひさご」「猿蓑」「炭俵」「続猿蓑」−と共に、「俳諧の古今集」として尊重されるようになります。

それでは、芭蕉の俳諧連歌の新しい作法とはどういう物であったか。
それは、普通、「匂いづけ」「面影づけ」「響き」「うつり」という言葉で表現されます。すなわち、知的言語ゲームとしての俳諧ではなく前句の余情に付ける独特の作法が誕生します。

「附心は薄月夜に梅の匂へるがごとくあるべし」という芭蕉の言葉がある。

彼によると

   「秋よりのちの朝顔のいろ」(短句)

にたいして、

   「例ならぬ身はすさまじき乱れ髪」(長句)

と続ける「附心」が、匂ひづけです。(俳諧芭蕉談という古書にある話)

まず、「季節遅れの朝顔の花」の余情を尋ねます。その情は、いつか時を過ぎてなお微かに色香をたもっている女性の姿を彷彿とさせる。この余情を形に表して、「例ならぬ身はすさまじき乱れ髪」と続ける。

つまり、「朝顔のいろ」は純然たる叙景ですが、それがある人物の姿となって
現れます。これは、「風姿」→「風情」への転調と言って良いでしょう。

朝顔が前句にあるからといって、朝顔にゆかりのある「物」で付けたのでは
「物付け」となり、情趣に乏しい。前句の余情に付けるから「匂ひづけ」。
「匂い」は、その物ではなく、その「物の影」です。

ところで、「物の影」に付けるといいましたが、これが
「物語」の影につける場合は、「面影づけ」になります。

エリオットやパウンドの現代詩は、ダンテの「神聖喜劇」などの古典を背景にもっていてそこから自由に換骨奪胎しつつ引用していましたね。

芭蕉の俳諧の場合、中国と日本の詩歌の古典−源氏物語、李白・杜甫、白楽天などの漢詩など−が、やはり下敷きになっています。そして、それらが、同時代の生きた俳諧の言葉で語られます。
「面影づけ」のばあい、その句は背景を為している古典を知らない人が読んでも、情趣のあるものであることが要求されます。つまり、引用であることを知らなければ理解できない句はあまり洗練されていない付け方です。
(この点、「荒地」を出版するときに自注をつけて、典拠への参照を作者自身が指示した若き日のエリオットなどは、芭蕉の「面影づけ」の美意識からすれば全く「野暮な」やりかたをしたものです)

「冬の日」の「木枯らし」の巻から事例をひくと

     二の尼に近衛の花のさかり聞く   野水

       蝶はむぐらにとばかり鼻かむ  芭蕉

     乗り物に簾すく顔おぼろなる    重五

などは源氏物語の「匂い」につけた面影づけ。

この歌仙のフィナーレは
   
     綾ひとへ居湯に志賀の花漉しして    杜国  (花の定座)
       
       廊下は藤の影つたふなり      芭蕉  (挙句)

杜国の句は、謡曲「志賀」の
「雪ならば幾度袖をはらはまし花の吹雪の志賀の山越」
の歌枕を詠み絹ごしの湯に散りこむ花片のイメージで「匂の花」を表現したもの。

芭蕉の挙句は、白楽天の詩句「繞廊紫藤架」の面影づけ。
長恨歌の、温泉にはいる楊貴妃の姿が微かに匂います。