桃李歌壇  

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ダイアナ

 一九九七年八月三一日、ダイアナ元英皇太子妃、パリのセーヌに事故死す。悲
報は全世界をかけめぐった、そしてわが心の隅々にまでも。ひとつの何かが永遠 
に終わりを告げたような、不安定な、それでも確信のようなものが、私の胸のう
ちにしばらく漂った。またひとつかけがえのないものが失われた、そんな気がい
つまでもして、やりきれなかった。しかし、それはそこから衝撃的に動き始めた
心の変化の第一頁でしかなかった。

何ひとつ夢の叶わぬ一生をそれでも生きた人の死にざま

幸せという言の葉の小ささよ生きていく僕はかなしい

強く生きた人の死に触れ弱く生きる私の死は遠いまだ遠い

さみしいと何べん口にしただろうついに気丈に生きたダイアナ

必然に人は死ぬものひたぶるにそう呟いて真昼野をゆく

職業に貴賤はないというけれど絶対卑しい憎しパパラッチ

三十六という年齢の不確かな符合を前に人の死を想う

ダイアナよ悲しまないでもう、ひとり私は祈り続けてるから

ひとの苦を負うために生きたと思いたい絶対君のこと忘れない

生きていくこと大切にそんなこと語りかけつつ君は死にゆく

三日四日君の最期を思ってるこんな男のせめてもの真実

朝の珈琲店エスプレッソに揺れる灯を君の鎮魂(しずめ)と思いつつ見る

 九月六日は、ダイアナの葬儀の日だった。二百万人の民衆が沿道に参列する史
上かつてない規模だという。全世界二十五億人の人が悲しみにうち沈んだ。そう
 いうものを彼女が望んだかどうかは、もちろんわからない。事故の十八時間後
に、交通遺児に届けられた彼女の励ましの電報の話も聞いた。「私があなたのこ
とを思っていることを忘れないで。」 ――彼女は言葉の力を信じたのだ――
なんという大きな愛だろう、そして何という強さだろう。さびしみを力にしない
限り、こういう大きく強い愛は生まれ得ないのではないだろうか、私の心の奥底
にまた火が揺れる。 
 私にとって彼女の死は、その寂しい死自体もさることながら、その後の人々の
心の反応の方がはるかに衝撃だった。言葉というものに、歌というものに、やが
てはそれを表現する人間というもの、人間の心というものに、深い絶望を感じ始 
めていた私には、彼女という存在が、あるいは彼女の死が人々に与えたものの大
きさがほとんど信じられなかった。しかし事実は事実だ。人々はダイアナの中に 
何を見出したのだろう?彼女の何に感動しているのだろう?とにかく彼女は「与
えた」、彼女は「わがため」に生きたのかも知れないけれど、何か強烈なものを 
「与えた」。それが私には衝撃だった。
 歌は「与える」ものか「わがため」のものか、私はつまらない議論をしようと
していたのかも知れない、急速に私の心の中に、何かが拡がり始めていた、そし
てそれは、 野を吹き抜けてゆく一片のそよ風のように、とっても爽やかなもの
だった。

何億の人が自分を重ねたろう寂しく強く生きたダイアナ

時もなく雨だれを聴きながら朝の喫茶(カフェー)にダイアナを想(も)う

毎日を澱(おり)のごとしと思う身を恥じらっている強い君ゆえ

強く強く生き直したいあまりにも寂しい僕を「認める」ために

そりゃとても君のようには無理だけどもっと大きな愛に生きたい

*              *

今つよく君と語りたい六月の澄んだ瞳に澄んだ心で