連歌と俳諧 

自歌合について

田中裕 

   句会桃李の掲示板で旅遊さんが自作を二つ提示され、優劣の判定をゆだねられました。こういうことは和歌の歴史でいうと、「自歌合(じかあわせ)」に其の先例を求めることが出来ますので、それについて説明します。通常の歌合(うたあわせ)が複数の歌人の競作であるのに対して、自作の和歌を集めて左右に排し、判者にいずれが優るか批評を乞うという形式をとります。(俳句の場合も、和歌の「歌合」に倣って「句合(くあわせ)」がは芭蕉門下の間で良く行われました)

俳句の句会そのものが競作ですから、それとは別に「句合」をする必要はありませんが、「自句合(じくあわせ)」ならば、掲示板で行うのに相応しいのかもしれませんね。

晩年の西行の「自歌合」として有名な「御裳濯河歌合(みもすそがわうたあわせ)」から、例をひいてみましょう。判者は藤原俊成です。

(左勝)
大かたの露にはなにのなるならん袂に置くはなみだなりけり
(右)
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋のゆふぐれ
(加判)
「鴫立つ沢の」といへる、心幽玄に、すがた及びがたし。ただし、左の歌、「露にはなにの」といへる、言葉浅きにして、心ことに深し。まさるともうすべし。

右歌は、後世「三夕」の歌として名高いものですが、俊成は自分の歌風とは対照的な左歌のほうを「平易な言葉に深い心を盛っている」として勝ちと判定しているのが面白い。

甲乙付けがたい時には「持(引き分け)」と判定します。
たとえば、
(左持)
嘆けとて月やはものを思わするかこち顔なるわが涙かな
(右)
知らざりき雲居のよそに見し月のかげを袂に宿すべしとは
(加判)
左右両首、ともに心すがた、ゆうなり。良き持とすべし。

左歌は百人一首に入っていますが、単独で鑑賞するのではなく、右歌と対にすると味わいの深いものになりますね。後に定家がなぜこれを百人一首に入れたか良く分かります。尚、これらの歌は

おもかげの忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて

という歌と共に、若き日の西行の悲恋の相手、待賢門院璋子を詠んだものと解されています。