句会桃李の掲示板で旅遊さんが自作を二つ提示され、優劣の判定をゆだねられました。こういうことは和歌の歴史でいうと、「自歌合(じかあわせ)」に其の先例を求めることが出来ますので、それについて説明します。通常の歌合(うたあわせ)が複数の歌人の競作であるのに対して、自作の和歌を集めて左右に排し、判者にいずれが優るか批評を乞うという形式をとります。(俳句の場合も、和歌の「歌合」に倣って「句合(くあわせ)」がは芭蕉門下の間で良く行われました) 俳句の句会そのものが競作ですから、それとは別に「句合」をする必要はありませんが、「自句合(じくあわせ)」ならば、掲示板で行うのに相応しいのかもしれませんね。 晩年の西行の「自歌合」として有名な「御裳濯河歌合(みもすそがわうたあわせ)」から、例をひいてみましょう。判者は藤原俊成です。 (左勝) 右歌は、後世「三夕」の歌として名高いものですが、俊成は自分の歌風とは対照的な左歌のほうを「平易な言葉に深い心を盛っている」として勝ちと判定しているのが面白い。 甲乙付けがたい時には「持(引き分け)」と判定します。 左歌は百人一首に入っていますが、単独で鑑賞するのではなく、右歌と対にすると味わいの深いものになりますね。後に定家がなぜこれを百人一首に入れたか良く分かります。尚、これらの歌は おもかげの忘らるまじき別れかな名残を人の月にとどめて という歌と共に、若き日の西行の悲恋の相手、待賢門院璋子を詠んだものと解されています。
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