連歌と俳諧 

発句と俳句 1

絵馬 

 桃李歌壇では、この度、新しく発句の部屋を開設しました。
連歌の発句は、俳句の原点です。今日芭蕉や蕪村の「俳句」として知られている名句は、どれも連歌の「発句」として詠まれたものです。

 発句とは、一巻の連歌を巻くときの冒頭の句で、季語と切れ字を持ち、余情に富む、丈の高い長句でしたので、連歌から独立しても鑑賞にたえる作品が多くありました。そこで、既に芭蕉の時代から、連衆が発句だけを詠みあったり、俳諧七部集のように、新古今集の部立てを模して発句集を編纂することが行われるようになりました。

 蕪村になると、現在の句会のように発句だけを詠む会を主宰し、数々の名句が生まれました。これが近代の俳句の原点です。
 ただ、「俳句」という呼び名は明治以降のもので、それまでは、「俳諧の連歌」というように、格調の高い「純正の」連歌と区別した創作上の態度ないし気分を表すものだったのです。俳諧とは、現代風に言えば、滑稽味、機知、ユーモアと言ったところでしょうか。

 俳諧の連歌には新興の庶民階級のエネルギーがあり、やがて純正の連歌に代わって隆盛を極めましたが、参加している連衆は面白くとも、作品として後に残るようなものはまれでした。

 芭蕉は、俳諧の連歌に新しい詩情を盛ることに成功した人です。日常の卑俗な言葉に詩味を盛り、伝統的な和歌世界の詩情を俳諧の活力と統合したいわゆる「蕉風」が後の俳諧連歌のありかたに大きく影響するようになりました。

 明治以後は、「俳諧の連歌」と「純正の連歌」を区別する必要がなくなったので、従来「連俳」と呼んでいたものを、高浜虚子にならって「連句」と呼ぶことが多くなりました。
(桃李歌壇では、連句ではなくて連歌という名称を使っています)

 俳句の原点が連歌の発句であると言っても、今日詠まれている俳句が、どれも連歌の発句として使えるかというと、そうはいきません。

 発句は、連衆の座を予想して詠まれますので、必ず、座に招待された客人の挨拶の意味が込められます。また、あまりにも完成されて、他の人が後を続けにくくなるような作品よりも、脇を付ける亭主が言葉を付け加えることのできる場所を残しておくほうが望ましいとされます。

 芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の、連歌の発句として脇を予想したもとの形は「古池や蛙飛んだる水の音」でした。

 明らかに、「蛙飛んだる水の音」のほうが勢いがあり、連衆から脇句を引き出す挨拶の意味も込められていましたが、単独の文学作品としては、
「蛙飛び込む水の音」のほうが遙かに余情があるでしょう。 

 明治以後、近代化された俳句が盛んになると共に、連歌は廃れてしまいました。しかし、近年連歌を巻く人が急激に増加しつつあるようです。

 発句には、何よりも連歌全体がそこから始まるという、共同製作の原点という面白さがあります。これまで、俳句だけを作ってこられた方に、是非とも、発句の面白さを経験して戴くために、発句の部屋を開設した次第です。


「古池や」の句について (付録)

「発句と俳句」その1で

芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の、連歌の発句として脇を予想したもとの形 は「古池や蛙飛んだる水の音」でした。
明らかに、「蛙飛んだる水の音」のほうが勢いがあり、連衆から脇句を引き出 す 挨拶の意味も込められていましたが、単独の文学作品としては、「蛙飛び込む水の音」のほうが遙かに余情があるでしょう。 

と書き、

芭蕉の 「古池や蛙飛んだる水の音」と
    「古池や蛙飛び込む水の音」の句姿の違いについて説明しましたが、その出典について補足しておきましょう。

人口に膾炙した「蛙飛び込む」の句は、
貞享三年三月に出た「蛙合」が初出で、そのほか
泊船集、千塚集に出ました。
「蛙飛んだる」のほうは同じく貞享三年に出た西吟の
「庵桜」に出ている句形です。
 両者の関係について、諸説がありますが、
私は、潁原退蔵氏と同じく、
「蛙飛んだる」のほうを「談林調」の残っていた時代の
初案とし、それが難波に伝わって西吟の「庵桜」に
編入されたが、芭蕉は天和元年、または二年あたり
いわゆる「蕉風」開眼の決定的経験をしたあとで
改められたという、志田義秀氏の文献学的考証を
もっとも説得力があると思っています。
(新芭蕉講座 第一巻 三省堂 四四六頁参照)

問題は、芭蕉の門人、支考が「俳諧十論」のなかで述べている
「天和の初めならん、武江の深川に隠棲して 古池や蛙飛び込む水の音といへる一句に自己の眼を開きて、これより俳諧の一道はひろまりけるとぞ」
と言っている、芭蕉の「開眼」経験とはどんな物であったかと言うことでしょう。

「この句は、俳諧の歴史上最必要なるものに相違なけれども、文学上にはそれほどの必要をみざるものなり」といったのは正岡子規ですが、彼はどうもこの句の良さがどこにあるのか分からなかったようです。

俳句の専門家がどういうかは別にして、
(専門家もあてにならないかもしれません)
皆さんは、どのようにこの句を読まれているでしょうか。

「古池や」の句は、誰でもよく知っている句ですが、
実は、誰にも分かっていない句であるのかもしれません。