桃李歌壇

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14. 旅

 起き抜けの激しい雨に驚く。そういえば夜中に何度か雨の降る音を聞いたよう
な気がする。むろん雨が降っているからとて、計画を変えるつもりはない。が、
何となく重苦しい気持になる。土日を利用して一人旅に出る、一人で旅をするの
は十数年ぶりのことだ。見えなくなってしまったものをもう一度見るために、前
と違ってしまった自分の中に新しいものを見つけるために、この春先からずっと
思いつめてきたことだった。自分のことを真剣に考えている自分自身のために、
ずっとずっと… それが雨降っている。
 朝から湯に入って体を清め、わざとオーバーシャツにして、胸元のポケットに
香袋をしのばせる、すがすがしい香気が漂う。きれいに掃除した髭剃りと櫛をリ
ュックにしまう、髪は学生時代に戻して前に流し、教師も夫も父親も全部振り捨
てて、リュックを肩に戸を開けると、あんなに強く降っていた雨が嘘のようにや
んでいる。朝の冷気が心地よく身に染み入ってくる、湿った風が五月の土の匂い
を運んでくる。


夜を徹し雨降るなるも旅立ちの朝やみぬるは神の御心(こころ)か

髪を洗い新品(さら)のカッター身につけて心清らに旅に出でたり

パン一つ朝食済ませ駅ぬちに歯を磨きたり若さ戻りつ

麦の穂か黄色の大地の美しき休まる時はかくてありたし

かしましき通学生徒の声しばしされど我が身は教師にあらず

駅にあればラジオ体操聞こえ来てまぶしき朝の気みなぎりつ

田植え済む山の田んぼは白々と空を映して輝いていぬ

空青く鳥高く飛ぶ揺れながら列車の中に夢を見る我れ

かきつばたいとおもしろく咲きたれば旅の心を夢に重ねつ

よろこびの湧き出づる旅青々と緑の反射我れを誘(いざな)う


 深く考えずに丹後に来たが、思いもよらぬ感慨を味わうことになった。網野に
母の実家のある私は、幼年期に何度も丹後を訪れたものだが、身体の中にその頃
の記憶がきちんとしまわれてあったことに気付かされたのである。まだ蒸気機関
車で、トンネルのたびごとに車窓を閉めないと煙の入ってくる、そんな時代のこ
とだ。由良川の鉄橋を渡る時、子供の目にはその川が途方もなく大きく見えて、
思わず胸を高鳴らせたのを思い出す。列車が海辺にさしかかると、海水浴の人た
ちの派手なパラソルが見えて、はしゃぐ気持を抑えかねたものだった。今、ひと
りで同じ場所を通過する、幼年期の思いは皆忘れてしまったように思っていたの
だが。


由良川を渡るかなしく大きなる川幼年の匂いする川

この川を渡りし時に夏帽子飛ばするありきいつの日のこと

うつくしき海の彼方を泣きそうな弱き自分と知りつつぞ見る

時折に海見えたれば車窓より顔を出だしし思ほゆるかも

                   *               *

松の木のトンネルくぐりペダルこぐ日本三景我にもうつくし

まだ文も見ぬ頃(ころお)いに思い初(そ)む旅にしあらば迷い果てんと

日の光まぶしきまでに照らし射て一本道をひとりこぎ行く

なんという心地のよさよ海風を向かいに受けて浜辺を走る


 天橋立の股のぞきで有名な傘松公園に上るリフト乗り場をまっすぐ下りていっ
た所の喫茶店でランチを食べていると、店の女主人が親切に色々と間人への生き
方の相談にのってくれた。
 「ずっと西国をまわっておられるのですか。」ときく。
  「まさか」と答えながら、ああ、本当にそうであればいいのに、とふと思う。
たった一泊の小旅行に過ぎないが、今朝からの心のときめきはどうだ。ひとつひ
とつのことに、なんと敏感に揺れ動くのだろう。こんな大事なものを、どうして
私はぞんざいにしてきたのだろう。


光満つ海辺の町の喫茶室ラジオ聞きつつひとり歌詠む

リフト乗り上へ上へと行きたれば寂しき想いよはや消え失せなんか

熊ん蜂ぶんぶと強しいつまでも目を離せずにあとを追いたり

一度だけ撮りましょうかと声かくるおのがやさしさいじらしかりけり

松の橋もて空と海と分く別の天地に生きゆかんかも

大学のサークルもあり恋人の二人もありき我れは旅ゆく

寂しさの極みもとめて行きたれば天のかけ橋あやしくおぼゆ

風音か海の響きかざわざわと我が魂を誘(いざな)いに来る

海あおし波の鳴る音聞きながら出さぬ君への絵葉書を書く


 無理は承知でも何か変えたくてやっきになっている自分がある。思いついて駅
前の自販機で煙草を買う。正直どきどきする。恥ずかしながら、この年まで煙草
を吸ったことは一度もない、吸いたいと思ったこともない。だれもが経験する大
人への背伸びの時期に、煙草と無縁であっただけのことなのだが、それよりも自
分には煙草は似合わないと思っていた。
 なんだか人目をしのぶような感じで、おどおどと火をつける、つかない! 火
の付け方もわからないのだ。燃やすような感じでなんとかつけて吸ってみる、吸
い込んだ煙をどうすればいい? 何もわからない私は、そう、背伸びした中学生
と何も変わらない。そんな自分の中の幼さを、今の自分がふっとやさしい目で見
ている


この年になりてはじめて煙草吸うすこしどきどきするがおかしさ

バスを待ち駅のベンチで煙草吸う不思議のことよ幻のごと

煙草吸う己が悪になる気分恋も誠意も失せよ今なん

一本の煙草を切に吸う身なり波も消えなん我れも果てなん

                   *               *

日の入りに海金色(こんじき)に輝きぬ神よ僕(しもべ)を許させ給え

間人(たいざ)の海波荒らかにざわめきぬ吾れは心を禊ぎてしがな

次々と波は寄せ来る源の尽きぬ強さを我れも欲りつつ


 「明日になれば生きてくことに私はとらわれ悩むでしょう、今日だけせめてす
べてを忘れ、こうして歩いているのです」昔好きだった歌。夕暮れの間人の海辺
を歩いていると、ふと口ずさんでいる。確か中学生の頃の歌、今やっとその歌詞
の意味がわかりながら、海辺を歩く。間人の海はさびしげにその海鳴りを響かせ
ながら、金に輝いている。
 自分の奥の奥を肯定しきれないまま旅に出た、そしてそれは今も変わらない。
旅に出たからとて、何かが許されるわけではなかったのだ。それも本当はもうわ
かっている。わかっていて何かにすがるような思いで列車に揺られる、海に抱か
れようとする、寂しい風の音を聞く、自分で何とかしようとしてもがいている。


そもそものおのれは何ぞ酔い果てて道理もわかぬはふれ人ぞや

名を呼べど答えぬ闇をいかにせん芯を失う男は脆し

真夜中のロビーでひとり缶茶飲む目にいらいらと自販機あかし

海空の星はかそけく寝ねられぬ眼に寒く顫え帯びたり

夜の部屋で我れは何をかなす者ぞ避らずきびしく追及したり

                   *               *

海沿いの道を歩きて言うことなし空は青いし海は青いし

朝の町歩いてゆけば知らぬ間に古代のこころ満ち満ちて来ぬ

うつくしく青き海なり真直ぐなる水平線に真実誓う

海を見て思う心よ我れは今何をもとめてさすらうやいざ

さざ波よ汝れは憂いもなかるらん我れはこうして生きいたりけり

太平の心を切にもとめんと海に向かいて両手拡げつ

海さわぎ心さわげど悲しみのついに銷せん時来ざりけり

はからずも岬めぐりのバスは行く歌にありしはかかる心か

名にし負わば琴引浜の鳴き砂よ迷える人の音をぞ伝えよ

砂浜に乙女のごとく佇んで貝を拾いつ真白の貝を

琴引の波ぞかなしくわがために泣けるがごとし我れは生かさる

風つよく沖の白波むせびけり再び我れは生き出でんかも

                   *               *

 宮津や舞鶴の町を歩いてみたら、古い寺が目につく。境内に足を踏み入れて伽
藍をながめていると、寺の人が「どうぞ上がってお参りして下さい。」と声をか
けてくれた。見れば、本尊をまつる建物の扉は閉ざされている。開けて入ってか
まわないということなのだが、何だか足が進まない。扉越しに手を合わせてみる
と、何ともいえぬ怖ろしい気がしてきて、無心に祈っている。私は厳しく責めら
るべき身なのだという気が強くする。許されたい、救われたいという思いと、む
しろ罰を受けたいという思いと両方があって、手を合わせている時ですら迷って
いる。迷いを解きたい、そう念じながら、迷いの解けるのが寂しいという思いも
ある、要するに自分は実感を欲しがっているのだ。いつの時も、自分をつき動か
してきたものは、こういう実感なのだと、すでに自分は気付いているのだ。その
罪悪感が次の寺でも、そのまた次の寺でも自分を敬虔にする。


おろおろと真昼の寺を過ぎたればとんびは歌うとんびは歌う

そっと手を合わせて祈る真摯(いのち)なり神も仏もおわしますらん

ねぎ坊主白き花にもたましいの畏敬おぼえて立ち止まり見る

ついの道もとめて来れば山もとの光は寂し無縁寺なり

御仏に祈りて行くに蝶の飛ぶあざみの花のうつくしきかも

岩ばしる不動の滝を見上ぐれば木の間がくれに日の光照る

わが魂(たま)を導き給え念ずればあらかしこくも風の音鳴る

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