はた何を思いながらの祈念ぞや寂しき時は過ぎぬるものを ある限り皆の仏が吾れを見て支え給うか心落ち居ぬ この仏我れを見給う目のやさしいかなることぞ罪は去りしか 御仏のやさしき瞳胸に染む今安らかに我が道を行く 御仏に取り囲まれて歌を詠む落ち居たれどもまことは寂し 人気なき寺の廊下に座り居て今の気持を確かめている あら尊と光渡れる空よりも輝く雨の降りて来たりぬ 一杯(ひとつき)の珈琲(カフェ)もとめて心地よく大津の町をたづねて歩く 坂道を電車下りぬふと見れば尊き雨の音なく降りぬ 下りゆく列車の見える喫茶室歌詠む吾れにやさしきところ 仏像展があると知って、大津を訪れる。その博物館は小高い丘の上にあって、 湖をはさんで三上山の望める気持ちのいい所だった。朝なのでほとんど誰もいな い展示室で、古い仏像を見る。昨日から少し感じていた、そしてさっき長等神社 を訪れた時にも感じた不思議な心の平安を、この仏を見るときにも感じた。先日 宮津の寺で覚えた畏れのような気持ちではなかった。何が変わったのだろう、何 だか不思議な気分だ。やさしい仏の目を見る、ふいに自分もやさしい目をして、 自然に戻っているような、落ち着いた心持ちになっていることに気づく。しかし、 これは恐らく、ほんの一時なのだ。暗い陰のようなものは、必ずすぐに自分を襲 ってくる、それが自分でわかっている。 時折雨が降って、五月の末とは思えぬ寒さだ。寺で見ても、琵琶湖に向かう坂 道にある喫茶店の窓から見ても、斜めに降る五月の雨は尊く思えた。 御井寺というなるいのち育める赤き実みのる山桜かな 湖に面する町を見下ろして何かかなしくなりにけるかも ふと耳をすませば町の生活(なりわい)の響き聞こゆる心せつなく 義仲も芭蕉もありき年月の久遠の中に我れは生かさる さびしきは心病んでもかけめぐる枯れ野の夢とかえらぬ思い 雲重く垂れこめ街路樹の梢鴇(あか)にしみじみうつくしきかも |