桃李歌壇

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3. 病める日

病みて臥す重き布団に包まれてせんなきことを辿るむなしく

二十年(はたとせ)の心残りかうたびとの魂(たま)還りしか心さわぎぬ

むしろ身の滅びを望む胸臆の真の祈りの叶わんよりは

何をしているかと詰れる声すなり身の奥底のさらに奥処(おくか)の

床に居て明るき雲の流る見る寂しき時は旅にありたし

鳥の一羽白き雲居を渡るありじっと見ている心か苦し

鍋に煮るもたゆくて白湯をかけ回しつっ立ったままラーメンを食う

身のうちにラーメンの味広ごりて家人なければ顔覆いたり

床なれば同じ景色に夕暮るる何を待つのか知りたる怖し

歌人(うたびと)のさだめなればよ人世にも道理にもみなそむきゆくかも

一つだけ願い叶いて死にてんか童話の夢を真摯に思う

北西の空に彗星輝けりひた燃ゆる想(も)い否びがたくも

なすすべもなき想いなれど心一つあたためて今日も終わりてしがな

熱に浮く夢であればよ遠き日のせつなき思い振り捨てがたく

じんじんと頭の奥の痛みあり忘れてしまえ想いはみながら

今日もまた心の暦に印つく意味なき×なりされど、×なり


 流行りのインフルエンザか、数日前から全身の痛みと熱に苦しむ。自分には、
この病が意味あることのように思えてならない。熱に浮かされて眠れない、真夜
中に悪寒に襲われる時、一人でずっと一つのことを考えている。自分はその罪深
さゆえに罰を受けているのではないかと。道理で薬も効かぬはずだと。
 早晩、この病も癒える。だが、今、身の竦むような思いで感じている敬虔な懼
れの気持は、きっと忘れることはあるまい、そう思う。


神よ罰を与え給うか許されぬ罪人なれば痛み貫く

寝覚めより九度近き熱罪人は贖罪ゆえに起ちて働く

火傷せんばかりの熱き納豆汁すすりて病める朝始まりぬ

日一日高熱に耐え授業する苦しみの果て寂しみ生ず

病臥する窓に彗星輝けり怖れ抱きて祈らんと思う

すでに五日激しき痛み続きたり桜は散りぬ花は終わりぬ

坂の上より赤き玉かと見ゆるまでうつくしき陽を拝みけるかも

ようやくに明日は休みとなりたれば神の御心ありがたかりし

かくてこの憂いも時の作用にていづくともなく消えゆくのかも

雪やなぎちょうせんれんぎょうチューリップ春の華麗に我れは泣きなん

青々と草生い茂る春の野に赤子のごとくわれもありたし

久にして熱は下がりぬされど身と心の痛みいかで銷せん

四方(よも)はみな春の光に満ち満ちぬ病室に在りて一人歌詠む

何をせずとも日ばかりは過ぎゆきて春の想いをせつなくさせる

ざわざわと胸のさわげる日は過ぎて想いひそかに見つめる日なり

遠き日を思うがごとし病癒え光の中に昨日見るとき

忙殺の一日を終え日暮れ行く空に自分を語るかなしく

言葉なく道をゆくなり失いしものの何かを知っていたれば

ぎゅっと手を握りて歩く隙間より失われゆく何かのために

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